優しい日差しが春を告げている。
この時空にやってきて、はじめての春。
いつもより早く起き上がると、弁慶はいそいそとその準備を始めた。
続く未来の約束
哀しい運命を乗り越えて今の春がある。
だから、望美はこの幸せを大事にしたいと心から思っていた。
まだ春休み。
だけど、今日から新年度―――高校三年生だ。
そして、それだけじゃない。
この誕生日は、望美にとって、とても特別なものだった。
「んー」
望美は起き抜けに気持ち良さそうにのびをした。
今日はデートだ!
☆
ピンポーン♪
軽快な音を響かせてチャイムを鳴らす。
弁慶の住まいは、学校と家のちょうど中間くらいにあって、駅とは反対側にある。
だから、外でデートする時は駅で待ち合わせするのだが、今日は家デートだ。
望美はいつもよりちょっと気合を入れた格好で、ドキドキしながら弁慶が出てくるのを待った。
………知ってるかな?
「はい、いらっしゃい」
「わ…っ」
後ろを向いて鏡なんか見直していた望美は、チャイムの応答より早く出てきた弁慶に驚いて、思わず跳び上がる。
危ない!
「望美さんっ……!」
「だ、大丈夫、です」
「……みたいですね…」
落としかけた鏡に伸びた手は4つ。
何とか望美が受け止めて、鏡は壊れずに済んだ。
二人、思わず顔を見合わせてしまう。
「すいません、驚かせて……」
「い、いえっ、そんな…!……あっ……」
弁慶は申し訳なさそうに謝ってくれるが、向こうを剥いていたのは望美なので弁慶は悪くないだろう。
望美は慌てて手を振って、また鏡を落としかけた。
今度は弁慶がキャッチ☆
二度目の失態に凍りつく望美に、鏡を手に弁慶はにっこりと微笑んだ。
「さ、どうぞ」
「は…はいっ!」
もうこれ以上失態はおかせない―――今日は特別な日なのだから。
最初に言われないということは、やっぱり弁慶は知らないのだろうし。
(むんっ!)
妙に意気込んだ望美に弁慶はこっそり首を傾げる。
何だろうか?
今日の望美は何だか挙動不審。
ずいぶんおしゃれして来ているし、もしかしたらどこか行きたかったのかもしれない。
(……僕は、ふたりだけでいたいんですけどね)
そう思うから、ついつい家でのデートが多くなる。
だが、望美は若いのだし、外に出た方がいいのだろうか。
悶々と考えていたから、今度は弁慶が出遅れた。
「弁慶さーん、どうしたのー?」
部屋の奥から呼ぶ声がして、玄関で立ち止まっていた弁慶は慌てて思考の海に別れを告げる。
「何でもありませんよー」
返しながら歩きだして、望美の笑顔に迎えられる。
平和な現代の空気は、弁慶にとってとても幸せなものだった。
……どうやら弁慶が用意していたアレコレは見つからなかったものらしい。
それはいいとして、何だか望美の様子がいつもと違う。
いつもなら台所に引っ込んだ弁慶を追ってくるのに、今日はリビングに留まったまま。
しかも何かと思えば新聞に釘づけである。
「望美さん?」
「わ、は、はい!何ですか?…あっ、お茶?お茶置くんですねっ?」
「はい…」
……どうしたのだろう?
何を探しているのだろう?
気にはなるが、不自然な望美のにっこりにつられて、弁慶もにっこりする。
聞き出せない。
切り出せない。
(向こうにはない習慣ですからね……)
しかもトアル方法で調べたところ、なんとヒノエとお揃いだというから性質が悪い。
思い出して、弁慶は顔を顰めた。
今度は望美が首を傾げる。
テーブルを占領していた新聞を除けたのに、弁慶が動かない。
何か難しい顔をしたまま、お盆を手に考え込んでいる。
(どうしたんだろう……うう、それにしてもどう言ったらいいのかな……)
望美は小さい頭を悩ませる。
新聞にもその方法は載っていなかった。
当たり前だが。
(もうっ、エイプリルフールなんかどうでもいいのに!!)
望美は苛立ちまぎれに新聞をぐしゃっとする。
弁慶も深いため息をついた。
同時に。
二人はお互いの仕種に気づいて、首を傾げた。
「……どうしたんですか?」
「君こそ」
互いに挙動不審だったから、互いに不思議でもしょうがない。
二人は顔を見せ合い、不意に、同じタイミングで苦笑した。
「どうしたんですか、今日は。君らしくもない」
「弁慶さんもですよ。私は…その、考え事があって」
「考え事?」
「な、悩み事というか…」
といっても、小さいことだ。
ただし、乙女的に問題なだけ。
だが、弁慶にそれは伝わらない。
望美の表情からして、そう深刻ではなさそうだが「悩み」というからには聞いてあげたい。
「何ですか?僕には言えないことですか?」
「え、う…そんなことはないですけど……」
というか、はっきり言って弁慶にしか聞けない。
でも直接そんなことを聞くのもどうか、と思う望美である。
といって遠まわしな方法なんて思いつかない。
新聞にも雑誌にも載ってなかった。
すっかり目が泳いでいる状態の望美に弁慶は怪訝な顔をする。
一体何だ?
用意していたこともどうでもよくなってしまった。
望美の方が大事だ。
「なら、言って下さい。どんなことでも」
「……どんなことでも?」
「ええ」
「笑わない?」
「僕が、笑ったりするはずがないでしょう」
「うー……」
何度も問答して、望美も覚悟を決める。
自分から主張するのはどうにも子どもっぽくて恥ずかしいが、望美は思いきって聞いてみることした。
ここで「エイプリルフール」とか言われたら、もう諦めよう!
「あの……きょ、今日が何の日か知ってますか?!」
精一杯、といった感じの望美の問いかけに、一体どんな悩みなのかと構えていた弁慶はきょとんとする。
何の日、何の日……
…………
望美の誕生日以外に何かあるのだろうか?
あとついでにヒノエの。
紅の勝ち誇ったような面影が過り、弁慶は僅かにムッとしたが、望美の緊張した表情に気づき、にっこりと微笑んだ。
間違ってたら、あとで謝ろう…。
「……君の誕生日でしょうか」
「―――え、し、知ってたんですか?」
当たりだったらしい。
一気に輝いた望美の表情にホッとしながら、弁慶は頷いた。
「ええ、生まれた日を祝う、というのは初めての事ですので……どう切り出したものか、考え込んでいたんですよ」
「あ、それで…」
玄関から戻って来なかったり、何だか考え込んでいる風情だった弁慶を思いだす。
弁慶は苦笑するように小首を傾げた。
「ふふ、御明察です。君はどうして考え込んでいたんですか?」
「えっ…」
望美はちょっと赤くなった。
誕生日。
それは京にはない習慣で、大人の階段をまた昇るような、独特のくすぐったさがある日だ。
そんなの今だけよ、と大人たちは言うけれど。
「…弁慶さんにね、おめでとうって言って欲しかったの。でも、何だかねだってるみたいで、恥ずかしくて」
誕生日。
特別な日だから、一緒にいたくて。
でもこっちの習慣を押しつけているようで、少しだけ罪悪感が湧いた。
何とか遠まわしに分かってもらいたかったのは、直接言うのが躊躇われたからだ。
……それに子供みたいだし。
望美の少し複雑な微笑に、弁慶は落とすように微笑んだ。
(いいのに)
(君の我儘なら、それが何であっても嬉しいのに)
少女らしい素直さと潔癖さ。
そんなところも好きだけれど。
「ねだってくれてよかったんですよ?君のおねだりなら大歓迎です」
「ふふ、何も言わないうちに言ってもらいたいっていうのも我儘ですけどね」
「そんなことはないですよ。もっと早く僕も言えばよかった。修行が足りませんね」
弁慶は軽く空を仰ぐ。
ヒノエと同じことが引っ掛かっていたなんて、とてもじゃないが、言えることではない。
「弁慶さんてば。修行なんて大袈裟ですよ〜」
「まあ用意はしてたということで、よしとして下さい」
「えっ?」
望美が楽しそうだから、弁慶は夜のための用意を今取り出すことにした。
奥から取り出されたあれこれに、望美は絶句する。
弁慶が優しく微笑んだ。
小さなプレゼントを差し出しながら。
「誕生日、おめでとうございます、望美さん」
―――その曇りのない笑顔に泣きたくなる。
望美はぐっとそれを堪えて、精一杯の笑顔で応えた。
「はい……!ありがとうございます、弁慶さん!」
時空の螺旋から抜け出して、ようやく迎えられた「18歳の誕生日」。
それをあなたと迎えられたことを、幸せに思う。
空は青く、風が優しく春を運ぶ。
平和の日々は恙無く、そして楽しく過ぎようとしていた。
きっと次の誕生日も、君と一緒に。