「・・・・・望美さん」
「弁慶さん?」
「何処かへ行かれるんですか?」
「はい、ちょっと買い物に!」

 勝浦の宿の回廊を曲がった先。
 何やら靴紐と格闘している望美の後姿に弁慶は声をかけた。
 周りには誰もいない。

 買い物?
 ・・・・・・・・一人で?

「譲君は・・・・」
「お台所借りてるみたいです。白龍が、蜂蜜プリンねだったみたいで」
「・・・・・。朔殿は・・・・」
「ちょっと疲れたみたいで、代わりに買い物に行こうと思って」
「・・・・・・・他は」
「みんな忙しいみたいで・・・弁慶さん・・・?」

 どんどん黒くなる弁慶の気配に、望美は思わず後ずさる。
 どうしたというのだろう?

 弁慶は不意ににっこり笑った。

「仕方ありませんね。僕が一緒に行きましょう」
「えっ、でも弁慶さんも何か用事・・・・・」
「いいですから!ここでは一人は駄目です!」
「・・・・・・・はあ」

 妙な迫力に圧され、望美は頷く。
 かくて、二人で出かけることになった。




熊野にて




 弁慶は憤慨していた。
 九郎などはまだいい。
 問題はヒノエや敦盛である。
 熊野の土地柄を解っているであろう彼ら。
 そして、いつもなら嗅覚の利く譲。

(・・・・・・僕は役得ですけれどね)

 弁慶が視線を配るだけでも、望美の容姿に口笛を吹く男は多い。
 隙あらば口説こうという姿勢が見え見えだ。
 ・・・・・美人を見て口説かなければ熊野男の名折れ、とでもいうのだろうか。
 自分は棚上げにして、つくづく甥の育ちを実感する弁慶である。

 頼まれたことを復唱しつつ歩く望美は可愛い。
 風に靡く髪は神秘の色で、瞳は熊野の海の色。
 可憐な口元に浮かぶ笑みは誰をも虜にするだろう。
 すんなりと伸びる足を無遠慮に眺める男を視線で牽制。
 見るなと大声で怒鳴りたい。

「弁慶さん、油屋さんってどこですか?」
「え?・・・・ああ、こちらです」

 不意打ちに可憐な声に呼び戻される。
 そうだ、どうせなら楽しんでしまうのが得策だ。
 置いてきた仕事も、薬の調合も頭から追い出して。
 いつもぞろぞろいるが、今は貴重にも二人だけなのだから。
 
「でもせっかくだから、重いものは最後にしませんか?少し歩きましょう」

 自然な動きで手を差し出してみせると、望美はきょとんとしてから、花のように笑った。
 手をきゅっと繋ぐ。
 少し冷たい弁慶の手を、望美の手が優しくあたためる。

「何処行くんですか?」
「ふふ、秘密です」

 手を繋いだ途端、周囲がため息を吐いたのが、知れた。
 熊野の鬼子と有名な己にほんの少し、感謝。
 熊野の鬼子、源氏の軍師は棟梁の身内と知る者たちは、懇意そうな望美に安易に手出しはしないだろう。
 海の男は義理堅い。
 そして、勝てない喧嘩をするような無謀もしない。


 その日、弁慶と望美は、たっぷりとデートを満喫した。

 







 望美は鼻歌を歌うほどご機嫌だった。
 帰ってきてから、望美はまっすぐ朔の室に向かう。
 優しい対は、望美の機嫌に敏感だ。

「ご機嫌ね?望美」

 望美は嬉しそうに笑って白い包みをほどく。
 中にあるのは腕飾り。
 細い紐で珊瑚や真珠の飾られたもの。
 綺麗なそれは、少し色や趣を変えて、二つ。

「朔と私に、って買ってくれたの」
「誰が?」
「弁慶さん!」

 朔はちょっと目を見張る。
 そしていい手だと思った。
 望美一人に贈ったら、きっと恐縮して受け取らないだろう。
 自分とお揃いだというのなら、望美は毎日でも身につけるだろう。

 ・・・・・・兄上にもこれくらい頑張ってほしいものだわ。

 心の中で兄を睨んでみたりして。

「・・・・・楽しかったのね?」
 
 問いかければ、望美は花のように微笑んだ。
 頬に赤味がさして、いつもよりもずっと可愛い。
 言葉より雄弁な答えに、朔もちょっと安心する。
 買い物に行ってもらったのは、自分が不調だったからだ。
 尼の自分さえ苦労する熊野。
 こっそり心配もしていたのだが・・・・・
 苦労せず、楽しかったなら、望美のいい息抜きになったのかもしれない。

 腕輪のついでにそのお礼も添えようと、朔は思った。
 


 腕輪を身につけた望美に超ご機嫌の弁慶に、本当に楽しかったのは弁慶かと、朔の礼を言う気がそがれかけるのは一刻後。
 弁慶はその後ずっと、玄関近くの室を自分の室に指定していた・・・・






「役得は、逃しませんよ?」