「異変?」
「うんそう、大変なんだよ〜。実はね・・・・・・」
弁慶は不意に顔をあげた。
初夏の昼下がり。
ふと庭先で聞こえてきた声は、景時と望美のもの。
異変?
何かあったとしたら、聞き逃せない話だ。
とはいえ、景時が大事を望美に軽々しく言うとも思えないのだが・・・・・・
(確認すれば済む話ですね)
弁慶は立ち上がって、話に割り込むことにした。
異変という言葉を気にかけてだと、自分に言い聞かせながら。
この星に願えるならば
「やあ、不穏な単語ですね?」
「弁慶さん!」
庭にひょっこり姿を現した同僚の軍師の笑顔に、景時は何故か引き攣った。
怖い。
(最近、たまに笑顔が怖いんだよね、何でだろう・・・・・)
有能な景時にもわからない謎のひとつ。
―――スペシャル笑顔の弁慶の恐怖である。
九郎はまた違った反応をするのだろうが。
望美は特に何も思わない様子で、にっこりと弁慶にも笑いかけた。
「ここずっと、流れ星が見えるそうなんです!」
「流れ星・・・・・流星、ですか」
「望美ちゃんの世界じゃ特に不吉じゃないんだって。じゃあ気にすることないのかな〜」
ここ数日、今日では流星が続いていた。
陰陽博士は異変だ、怪異だ、不吉だと大騒ぎしている。
事実、政変の起こる頃合ではあるので、景時も、星の運行云々は差し引いても要注意だと思っているが・・・・・。
「星は関係ないと思いますけど、ね」
「君たちの世界は本当に違うんですね」
「ねー、びっくりだよ〜」
望美の苦笑に弁慶が微笑み、景時が頷いた。
「あ・・・・・・でも、月の満ち欠けになんか影響するって聞いたから・・・関係あるのかな?」
望美が眉根を寄せて考え出した。
景時が興味深そうに目を輝かせる。
「え、やっぱりあるの?」
「うう、聞きかじりだから、私はなんとも・・・・」
「譲君なら分かるかな?」
「はい、多分・・・・・・」
「わかった!聞いてくるよ!」
たいていこんな話は将臣からで、譲も聞いているだろう。
そして自分より覚えているはずだ。
望美の頼りない返事に、それでも目を輝かせて、景時は走っていってしまった。
研究好きというか、時折、何でも知りたい子どものような好奇心を景時は覗かせる。
今回のツボはどこだったのだろう。
「ふふ、疾風のようでしたね」
「ね、やっぱり星のめぐりとか、お仕事柄気になるんでしょうか?」
「かもしれませんね」
残された二人は顔を見合わせて苦笑。
弁慶は望美と二人になれたので、当然上機嫌だ。
「望美さんの世界では、流星は不吉の象徴ではないのですね」
「はい、それどころかすっごい特典があるんですよ!」
望美がそう言って得意気に微笑むのに、弁慶は少し驚いた。
普段は滅多に見られない、満面の笑顔。
普段も、屈託があるわけではないが、知る者から見ればやはり、違う。
(本当の笑顔はこっちなんでしょうね・・・・・・)
それを奪った本人が、二重の意味で自分であることは重々分かっている弁慶である。
あえて笑顔には触れないで、素知らぬ顔で質問を重ねた。
「特典・・・・ですか」
「はい、願い事が叶っちゃうんです!」
「・・・・・・願い事が?」
突拍子のなさに、目を丸くした弁慶に、望美が悪戯が成功した子どものように笑う。
「流れ星が流れる間に3回唱えられたら、その願い事が叶うんですよ」
「それは・・・・難しそうですね」
「でも、怪異とかいうより絶対素敵でしょう?」
「ええ」
軽やかな笑顔。
無邪気な君。
きっと本当の君はこっちで、こんな風に血も闇も知らない少女で。
―――弁慶は自分の罪悪を振り返る。
迫り来る戦の足音。
自分が少女の傍にいられるのは、あとどれくらいまでだろう・・・・・・?
感傷からだろうか。
弁慶の口から、誘いの言葉は自然に洩れた。
「今日・・・・・・よかったら二人で一緒に星を待ちませんか?」
「え?」
「今日は僕も、ここに泊まる予定ですから」
望美の顔はみるみる輝いて、弁慶が胸をつかれた瞬間に、笑顔は弾けた。
「いいんですかっ?わあ、楽しみ!」
本気で楽しみな様子に苦笑。
彼女が望めば、それこそ誰でもいるだろうに。
「僕でいいんですか?」
「はい、嬉しいです!」
その言葉をどこまで受け取ればいいやら―――
苦笑のまま、弁慶は笑みを深くした。
そして―――――
「・・・・・・・わあ・・・・・・・!」
「これは・・・・本当に願い事も叶いそうな夜ですね」
星を待つこと暫し。
望美が舟を漕ぎ出した頃、流星群は始まった。
弁慶の記憶にないくらいの、たくさんの流れ星。
望美が眠気を忘れ、歓声をあげる。
弁慶はふと、思う。
(今頃、陰陽寮は大変だろうな・・・・・・)
一大事だと陰陽博士たちは走り回っているだろう。
景時も起こされているのかも。
しかし、この壮麗さを前にすれば、望美の言うような「願いが叶う」方が合っているような気がする。
怪異より、そんな綺麗事のほうが。
それほどの美しさ。
目を閉じるのが惜しくなるほどの光。
弁慶が目を遣ると、望美が一心に空を見つめている。
凛として、優しい眼差し。
―――これは、いつもの望美。
「・・・・・・・願い事は言えましたか?」
黙っていたくなくて、弁慶は問う。
振り返った望美は、どこか寂しい笑みを浮かべた。
「どうかな。言えてるといいんですけど」
「確かにこの数の多さでは、言えたかどうか、分かりませんね」
「でしょう?」
望美が困ったように笑って、また空に目を移す。
今度は挑むように。
見惚れそうになる自分を自制しながら、弁慶は望美のことを考える。
そしてこの先を。
彼女のことだから、願い事は「皆の無事」といったところだろうか?
あながち外れてもいまい。
(ならば僕は、君の無事でも願いましょうか)
弁慶に座して待つ願い事などない。
すべては自分がやるべき後始末。
ならばと願ってみたけれど、それさえこの先の自分の選択次第だと、本当はわかっている。
要はただの偽善。
それでも許されるだろうか。
君の無事を、星に願うことくらいは――――
弁慶が星を見上げる傍らで、望美はまた、弁慶に視線を戻していた。
(優しい人。そして、ひどい人)
厳島の悲劇を忘れない。
あれをもう一度繰り返さないために、自分は今ここにいるから。
望美は、ぎゅっと胸元に秘めた鏡の欠片を衣の上から押さえた。
もう間違えない。
今、望美が星に願うのはたった一つだ。
(この先、あなたを見失わずにすみますように)
星に願い、星に祈る。
願いの重なりの行く末を知るのは、季節が進み、春になってから。