ふと、弁慶は視線をあげた。
記憶違いでなければ、明日の暦は・・・・・・

隣で眠る、望美を見つめる。
安らかな寝顔に、そっと弁慶は寄り添った。





特別な日





「えっ?今日、お休みするんですか?」

望美は驚いた。
昨日寝る前は何も言ってなかったのに?

「ええ、それでちょっと出かけませんか?そうだな・・・・下鴨神社あたりに」
「え・・・・はい、いいですよ?」

望美は首を傾げる。
別にかまわないが、休みの日はゆっくりしたいのではないのだろうか?
薬の調合とか、掃除とか、やらなければならないことは山のようにある。

どうも現実的なことを考えている様子の望美に、弁慶はそっと笑った。
そんなものはどうとでもなる。
今日、必ずやらなければならない用事ではない。
だが・・・・・・嬉しかった。
君が確かにここに、僕の傍に暮らしている――暮らそうとしてくれている実感。

「じゃあいきましょう」

望美はまだ少し躊躇ったが、弁慶の優しい笑顔に促されるように微笑んだ。

「はい!」

君がここにいて、笑ってくれる幸せ。













「わあ・・・・・・」

望美は一面の桜吹雪に言葉を失った。
実は、弁慶も。

「これは・・・・・見事ですね。今年は開花が早いと聞いていたけど、ここまで見事に咲き乱れているとは思いませんでした」

まるで、今日という日を祝福しているかのような。
艶やかな絢爛。

でも。

「君という花には敵いませんが」
「え?何か言った?弁慶さん?」
「いいえ、綺麗ですね」
「はい!」

ぼそりと呟いた弁慶の本音は、望美の耳には届かなかったようだ。
別に聞いて欲しかったわけではないので、弁慶は気にしない。
にっこり微笑むと、望美がまた桜に目を移して歓声をあげた。

「綺麗!綺麗!もしかして、これを見せてくれるために?」

聡い望美に弁慶は苦笑する。
まあ、ないとは言わないが。

「ふふ、さすがにここまで咲いているとは僕も思いませんでした。今日が何の日か、桜も分かっているようですね」
「へ?」
「暦が違うので・・・・正確にそうかはわかりませんが」

弁慶はそっと望美を抱き寄せた。
そっと胸にかかる重み。
柔らかなぬくもりの―――愛しい人。

「誕生日おめでとう、望美さん」

一拍置いて、望美が驚愕した。

「えっ、きょ、今日って4月1日なんですか?!」
「ええ、そうですよ」

弁慶はその驚きようにきょとんとする。
喜ぶ顔が見れると思ったのに、望美は何だか焦っている。

「・・・・・・・どうしたんですか?」
「ど、どうしたんじゃありませんよ!今日、ヒノエくんの誕生日じゃないですかっ!」

・・・・・・・ヒノエ?
一瞬弁慶のこめかみが波打ったのを、望美は気づかない。
あわあわして「どうしよう〜」などとうろたえている。

「早く帰りましょう!ヒノエくんが来ちゃう!」
「え?」
「誕生日、一緒だから一緒にお祝いしようって約束したんです・・・・!」

ヒノエのことだから、自分と違ってちゃんと覚えているだろう。
熊野から来てくれるであろう少年を待たせるわけにはいかない。
望美は懸命に弁慶の腕を引いた。


・・・・・・望美さん。君の優しいところ、他人の方を優先してしまうところも僕は好きですよ。
今日は確かに君の誕生日で、本当は君の言うことを聞いてあげるべきなんでしょう。
でも・・・・・・


「わっ・・・・・」
「帰りません」
「へっ?」

再び腕の中に閉じ込めて、弁慶は望美に優しいだけでないキスをした。


「・・・・・今日は、一日二人で過ごしたいんです」
「えっ、でもあの・・・・・・!」
「望美さんは、嫌ですか?」
「違っ・・・・・!だって、ヒノエくんが!・・・・・・っ」

再びの噛み付くようなキス、情熱に溶かされて、望美は息も出来ない。
ようやく離されたとき、弁慶の目がいつにない焦燥の色をたたえていた。

「他の男の名を呼ばないで下さい」
「・・・・・・っ」
「今日だけで、いいから」

いつも余裕なひとの、初めて見る表情に、陥落。

「もう・・・・・しょうがない人ですね」
「・・・・よかった。ありがとうございます」

照れまじりに言った言葉に素直に返されては、望美だってもう何も言えない。
きゅっと自分から抱きついた。
誕生日に二人でいられるのは、望美だって嬉しい。

(ヒノエくんには後で謝ろう・・・・・)

心で小さく謝罪して、望美は弁慶の身体越し、絢爛の京に見入る。
優しい、優しい、春の色。

「誕生日おめでとう、望美さん・・・・・」
「はい!ありがとう、弁慶さん」

君の生まれた日の祝福を。 今ここにいてくれる君に心からの感謝を。


睦まじい二人を祝福するように、桜吹雪が舞い上がった。





―――ちなみに。
ヒノエは日付が変わるまで待ち続けたが、二人は一向に帰ってこなかったという・・・・・