秋の京。
怪異の解決と明王を従ええた事は弁慶にとって大きい。
確かに大きくなってゆく、勝算。
それは、君の傍を離れずにすむ可能性を示しているから。
弁慶は簀縁でひとり、微笑む。
中空にかかる望月を見上げて。
月に恋う
「弁慶さん!」
「やあ、湯上りですか?」
望美は手ぬぐいで髪を拭いながら歩いてきた。
滴る雫がどこか色っぽくて、弁慶はふふっと微笑んだ。
笑顔の意味が分からず、望美は首を傾げる。
「こんな時間まで珍しいですね?」
普段は九郎の邸に帰っている弁慶である。
「ええ、実は部屋で寝てしまってまして」
「・・・・・・あの部屋でですか?」
「ええ」
望美は引き攣り、「一体どうやって!」と問いかけてやめた。
イイ笑顔で微笑んだままのこの人に、無闇と突っ込むのはよろしくない。
きっとどうにかして寝たのだ。うん。
「今日はずっとここにいるんですか?」
「ええ、そうさせてもらおうと思っています」
「あ、じゃあ、ちょっといいですか?」
「・・・・・?ええ・・・・」
言うなり望美は駆け出していって、持ってきたのは少しの酒肴とお団子だった。
月見でもさせようというのだろうか?
目を丸くした弁慶に気づいて、ちょっと望美が心配そうにした。
「・・・・・駄目ですか?」
確かに九郎辺りなら、「明日も怪異を片付けねばならんだろう!」とか「たるんでいる!」とか言い出しそうではある。
だが・・・・、弁慶はぷっと吹き出した。
(困った人だな・・・・・いつででも可愛らしいのだから)
望美と二人きり。
こんな美味しいシチュエーションを逃すような弁慶ではない。
「いいえ、喜んで」
「やった!」
――――かくして、二人きりの宴会は始まった。
実はこのとき、ある目論見が望美にはあったのだが・・・・・・
☆
「べんけえさん!呑んでまふか!」
「ええ、呑んでますよ」
「それならいいんれす」
弁慶はえらそうに頷く望美に苦笑する。
ちょっと勧めただけだった。
望美は最初、「まだお酒は呑んじゃ駄目なんです!」とか言って固辞していた。
しかし、弁慶が、
「一人だと酔えませんねえ・・・・・」
と、聞こえよがしに月を仰ぐと、意を決したかのように杯をずいっと差し出した。
「いただきます・・・・・・!」
酔わせて色々聞いてやると思っていた望美である。
ここで逃げ出すわけには行かないのだ。
もちろん弁慶はにっこりして、それに少なめに酒を注ぐ。
出来立ての生酒でもあるまいし、と思っていた弁慶は、自分の判断の甘さを悔いた。
「いいですか、べんけえさん!ここが重要なんれす!」
「はあ、そうですねえ」
「パンダの目つきが実はわるいという話れすよ・・・・!」
ぱんだって何だ?
そう思うものの、弁慶はただうんうんと頷いてやる。
酔っ払いはまともに相手をしないに限るのだ。
「笹だけじゃ、ヒック、ないんです・・・・!」
望美の熱弁を聞き流しながら、弁慶は手酌で酒をちびちびやった。
弁慶の本音としては、「やだ、酔っちゃった」程度のほろ酔いを期待していただけに大きな誤算である。
可愛く目を擦る望美さん。
顔を赤らめて、ちょっと困ったように笑う望美さん。
・・・・・・・
などなど。
甘く儚い妄想は露と消えた。
今も望美は白と黒の境目がー!などと叫んでいる。
「それれね、弁慶さん、だから、わたしは見た目に誤魔化されないんれす!」
聞いてるのかこの野郎!とでもいうような据わった目つきで、望美は弁慶の胸元をぐいっと引き寄せた。
色気もそっけもない接近である。
「はあ・・・・」
弁慶としては曖昧に笑うしかない。
「べんけえさんのことれすよ!!」
すると、あまりに気のない返事に望美が怒り出した。
弁慶が目を丸くする。
「僕・・・・?」
ぱんだとやらのことじゃなかったのか?
「そうれす!まったく黒だか白だかわかんないんだから・・・・・!」
「・・・・・・・・・ぱんだではなくて?」
「両方れす!文句あんの!!」
思わず聞いた弁慶にぷりぷりと望美は怒った。
なんだか分からないが、弁慶は嬉しくなる。
さっきまでよく分からない話をされていると思っていたのに、僕のことだったのか。
そう思えばこの理不尽な酔い姿も愛らしいから、困ったものである。
「ないですよ、文句」
「ならいいんれす・・・わかってくれればいいの・・・」
しかも急速に眠りに落ちていく。
ああ完全に酔っ払いだ。
自分を掴んだまま、くったりと寝入ってしまった望美に苦笑する。
どうして君はこんなにも愛らしいの。
「・・・・・置いていくのが躊躇われますね。もういっそ、裏切らなくていいように君に頑張ってもらおうかな・・・・」
―――この先の戦で。
どうしたって、弁慶は応龍の加護を取り戻すために、どんな手段も選ばない気でいるから。
選ばない気でいるはずなのに、ふと、君にだけ、揺り動かされる。
巻き込みたくないなと、願ってしまう。
「弁慶さん・・・・―――」
囁くような、その先の言葉は弁慶の心を静かに揺らす。揺らし続ける。
僕もですよと囁いて、弁慶は護るように望美を抱き直した。
起きかけた望美がむずがるように弁慶に擦り寄る。
離れないでと、縋るように。
弁慶は月に恋う。
月を恋う。
夜毎姿を変える中空の月ではなくて、腕の中の望月を。
そんな資格はないから、こっそりとこうしてる間だけ。
いつか応龍の、加護を得られた世界に君が笑っていられますように。
そしてそれまではどうか―――
君が好きと囁いてくれる自分でいられるように。
