いつも記憶にあるのは君の後姿。
まっすぐに伸ばされた背筋。それを彩る藤色の髪。
護られるはずの君が僕たちを護る。
だから覚えてるのは、まっすぐな君の髪。
三つ編の理由
「うー・・・」
むにむにと口を動かしながら、望美が身じろぎした。
ちょっと体が硬い。
「おはようございます、望美さん」
「んー・・・おはよーございます、弁慶さん・・・ってええええ?!」
覚醒は一瞬。しかも驚愕とともに。
顔が近い!
「なななな何で!!」
「何でって・・・君がここで眠ったんですよ?ここは、僕の室です」
言われて目を遣れば見慣れぬ風景。薬草の染み付いた臭い。
乱雑に置かれた書物を除けるようにして寝所を作ったようなものだ。
しかも。
「ご・・・ごめんなさいっ!」
「ふふふ、謝ることはありませんよ」
「でも、手、痺れたでしょう?ああっ、赤くなってるーっ」
しかもどうやら弁慶の手枕で。
望んで寝たのでなければこうはいかない。
薬を貰いにきた弁慶の部屋で薬草の調合を手伝ったことは覚えている。
そのあと、龍神について教えてもらって・・・・その後の記憶が、ナイ。
「これくらいは何でもありません。可愛い寝顔を独占できたんですから」
起き上がった弁慶ににっこり笑われてしまえば、望美には何も言うことができなくなる。
心なしか顔が熱い。
なんか変な事しなかったかな・・・。
そわそわする望美に、弁慶はつい、心をくすぐられてしまう。
髪をすくって、くちづけて、上目遣いに、一撃。
「寝乱れた髪もいいですね、望美さん?」
途端に頬をカッと染めて、望美が立ち上がった。
「べべべ弁慶さんっ、そろそろ朔も起きてるので失礼しますっ!」
「はい、また朝餉の席で」
「はいっ!」
パタパタと走り去る足跡に、どうしても笑いがこらえられない。
社交辞令だったのに。最初は。
次に反応に気をよくして、次第に赤い頬に自分が捕らわれて。
もう、自分が何を意図して動いてるかすら忘れてしまいそう。
と、もう一度軽快な足音。
「あのっ・・・!休ませて下さってありがとうございました!失礼しますっ」
顔を覗かせると一息に言って、再び望美は走り去った。
―――この自分を。
熊野の鬼子、源氏の参謀と名高い僕を。
手の平で操れるのは、彼女くらいじゃないだろうか?
しかもそれはこんなにも気持ちがいい。
「・・・・あんたの大爆笑なんて初めて見るんだけど」
「おや、ヒノエ。おはようございます」
「・・・おはよう」
挨拶はきっちりと。
不意に現れた甥っ子にまだ笑い涙の混じる目で応じれば、渋々ながらも挨拶を返す。
兄の奥方の躾がうかがえて、またほんのり微笑がこみ上げる。
「さっき望美とすれ違ったんだけど、ここにいたわけ?」
「ええ、そうですよ」
しれっとした、隙のない笑顔。
やましさも、焦りも、感じられはしないけど。
自分だって、彼女の髪の寝癖を見なければ、こんなこと聞かないけど。
「・・・・独占したのは健やかな寝顔だけなんだろうね?」
いつもはまっすぐな望美の髪に残る、誰かの手枕の跡。
指摘すると、真っ赤な顔で、教えてくれてありがとうと御礼を言われて。
聞こえてきたのは、弁慶の大爆笑。
・・・まったく面白くない。
「君はそう思うんですか?」
「問いに問いで返すのはいけないって、あんた言ってなかったっけ?」
「そうでしたかね?」
埒が明かない。
「・・・いいよ、あんたが素直に答えないってことで答えは分かったし」
「そうですか?」
問答は望美とすればいい。
きっと確答が得られるし、コロコロ変わる表情を見るのは悪くない。
こんな性格の悪いヤツに付き合うより、よっぽど有意義だ。
去りかけたヒノエに弁慶は声をかける。
「用があったのではないのですか?」
こんな早朝に、わざわざ僕の室まで。
用がなければ来ないだろう。それも内密か、早急の。
「・・・気が削がれた。またにするよ」
ヒラヒラ手を振って出て行く。用事があったのは本当。
・・・でもそれは、やっぱり自分で決着つけるべきなのだ。
この自分より数段優れた男が目の前にいるとしても。
なんせ相手は恋敵。
頼るのはやっぱり、不本意。
「いつでもいいですよ」
「いつまでも上だと思うなよ」
「おや、心外ですね」
―――さあ、朝が始まる。
今日はきっと、いい日だろう。
目敏いヒノエと同じように、朔にも寝癖を指摘された望美が隠しに髪を結ってもらって。
珍しい姿にあちこちで声がかけられて。
そのたびに赤面する望美に周囲は首をかしげて。
事情を知った朔に弁慶が胡乱気な目で睨まれて。
まだきな臭くても平和だった。
別れのまだ遠かった、京都の秋の一日。
Fin.