京の夏は暑い。
盆地ゆえの暑さは格別で、これには幾つになっても慣れない。
そこほどではさすがにないが。


「もう、暑いっ!暑すぎ〜!!」


冗談ではなく涙目の望美を見て、敦盛は小さく笑った。
――――熊野の夏も、暑いのだ。





まだ見ぬ未来





望美たちは今、熊野に来ている。
九郎たち源氏としては、熊野水軍の協力を取りつけるため。

しかし、望美は違う。


(……熊野水軍は動かない。ヒノエくんも……難しいかなあ?)


そんな風に思うので、ぶっちゃけてしまえば望美は避暑に来たのだ。
熊野で毎回暴れる怨霊は放っておけないし、京の夏は凄まじく暑い。

……それでも十分、望美にとっては暑いのだが。

「望美ったら……」
「まったく、何度暑がったら気が済むんだ!情けないぞ!」

朔が僅かに笑い、九郎がぷんぷんと怒った。
しかし、二人もさすがに汗ばんでいる。
今日は特に暑くて、さしもの先生さえも暑いらしく眉間に皺。
望美はマスクを取ってしまえばいいのに、と思う。
望美は一人、涼しげな顔をしている敦盛に気がついた。

「敦盛さんは暑くないんですか?」
「え?」

物思いにふけっていた敦盛は、望美の言葉を聞き逃した。

「すまない、何だろうか」
「敦盛さんは涼しそうだから……暑くないのかなって思ったんです」

ああ、と、敦盛は気づいたように目を瞬き、小さく頷いた。

「京の夏よりマシだ」
「うう、そうかもしれませんけど……」
「神子は暑そうだな」
「はい〜、もぅ駄目っていうくらい、暑いです」

敦盛はまた小さく笑った。
――――敦盛の想像していた「白龍の神子」と望美は少し違う。
もっとその人は、例えば月のように冷たいように思っていた。
神聖で穢れなき、手を伸ばしてはならない天上人のように。

望美の傍は、いい。
心が優しくなる。

こんな風な気安い、光の塊のような存在を、敦盛はもう一人知っていた。
熊野の夏を共に過ごした少年。


辺りを見渡すと、休憩のような雰囲気になっている。
リズヴァーンや弁慶はどこかに姿を消してしまったようだった。
敦盛は少し考え、顔を上げた。

「……神子、少し、いいだろうか?」
「へ?」
「このあたりなら、涼しい場所がある。よかったら……その、一緒に」

敦盛が何か誘ってくるのは珍しい。
望美は驚いて、慌てて頷いた。

「は、はいっ!是非!」

一気に元気になった望美に、涼しいの言葉につられたのだと思った敦盛は、目を細めて頷いた。
その素直さが、眩しい。













「……そこは、ヒノエと一緒に見つけたんだ」

何処に行くんですか、と問う望美に、敦盛はぽつりと言った。

「ヒノエくんと?」
「ああ、……小さい頃、私は熊野にいたから」

敦盛が目元を和ませて語るのを、望美は嬉しそうに耳を傾けて聞く。
敦盛が過去の話をすることはとても珍しい。






『あっちー……!どこかもっと涼しいとこねえかな?』
『……そんなに暑いだろうか。京の夏は……』
『もっと暑いって言いたいんだろ?でも、比べてマシだからって、こっちが暑くないわけじゃない』
『それはそうかもしれないが』

じゃあせめて叫ぶのをやめればいいのに、とこっそり思ったが、それは胸に秘めておく。


『海に行けばどうだ?』
『気が乗らない』
『……熊野小路は』
『今は、いっぱい人がいるだろ』
『………』


人に会いたくないのだ、と、敦盛は察した。
ふと、自分はいいのだろうか、と迷ったが、紅の少年が何も言わないのに口を噤む。

消えたいならヒノエは一人で消える。
人好きのする笑顔の、気のいい少年は、たまにそうやって姿を消した。
でも敦盛が傍にいるのは、何も言わない。


『なら少し歩くか?』
『んー、そうだな。涼を求めて』


小粋に片目を瞑りながら、ヒノエは腰を浮かした。
―――――そうして見つけたのが、この場所だった。







「わあ……!わ、冷たい!」
「……よかった」

着いた場所は、小さな泉の湧き出でる場所だった。
望美は歓声をあげて、そこに近づき、手を浸す。

清涼感が吹きぬける。
こぽこぽと湧く、泉の底から出る気泡。
地下水だろうか?

「すごいですね、秘密の場所だ!」

望美が言ったのはあながち間違いではない。
熊野路はこの時期すれ違う人も多く、誰もかれも暑いのか、少しでも涼がある場所には人がいる。
だがここには誰もいなかった。
ひっそりしているが、決して薄暗い場所ではない。
なのに。

「……そうだな、そのようだ」

敦盛も頷く。
ここがこのまま残されているとは、思わなかった。
――――あれから随分経つ。

その間に自分は怨霊に――――ヒノエは頭領になった。

望美を見る。
ヒノエを頭領だと……自分を怨霊だと言えないまま、ここにいる。


「あれえ?」

何を言おうと思ったのか、敦盛にも分からない。
だが、言葉を呑み込んだのは、新しい声が入ってきたからだ。

――――――ヒノエ。

「姫君をお連れしたのか」
「あ、す、すまない……」
「なんで。姫君なら大歓迎だぜ。―――ご機嫌よう、姫君」
「ふふ、相変わらず元気だね、ヒノエくん」

これには答えず、ヒノエはただ笑った。
その微笑みに、敦盛はふと不安を覚える。

しかし、ヒノエはやはりあのときより強く、あのときのまま優しかった。

「ここは変わらないだろう、敦盛」
「……ああ」
「たまに、ここに来るんだ」


ヒノエは敦盛を見ないまま、――――そして、望美も二人を見ないままだった。


ふと風が吹く。
その風はやっぱり、京よりは少し冷たく、涼を運んでくる。


敦盛は目を閉じた。
三人はそのまま暫くそうしていた。
誰も何も話さない。
その必要がないように思えた。


誰もかれも、まだ、何も話せない。
何もまだ、本当に始まってはいないのだ。

望美たちはしばらくの休憩を、そのままで楽しんだ。

やがてヒノエが消え、夕暮れの中、敦盛が手を伸ばす。

「行こう、神子」
「はい!」


京の夏は暑く、ここはそれよりましだとしてもやはり暑く。
しかし、ここには、あなたがいる。


敦盛は優しく微笑んだ。

「涼をと言うなら……、勝浦に着いたら、滝に……夜でよければ共に」
「いいんですか?」
「ああ、八葉は、神子を助けるのが決まりだ」

生真面目な言葉に、ほんのり望美は涙をにじませる。
……もう、喪わない。

「楽しみにしていますね!」
「……ああ」

望美の屈託なく思える微笑みに、敦盛はゆっくりと頷いた。


(……あなたが、私の光)


それが滅びか生なのか。
二人はまだ、何も知らない。