敦盛はふと、槌を取り落とした。
春先の鞍馬はまだ寒い。
凍える手に、ああヒトになったんだ、と、思う。
それは赦される事なのだろうか。
少し、惑う。
言葉にしなくてもいいよ
「敦盛さん!」
「神子・・・・・・」
終戦後、敦盛はリズヴァーンの庵の守人になった。
旅で留守がちのリズヴァーンを気遣ったというよりは、気遣われたというのが正しい。
京邸は優しい日々。
だが、少ないとはいえ使用人もいて、人の出入りが少なからずある。
それは敦盛には億劫だったし、ずっと京邸に世話になるわけにもいかない。
景時や朔は引き止めたが、敦盛の決意はそう簡単に変わるものではない。
望美はあっさり頷いた。
「いいんじゃないですか?」
「神子・・・・」
「いいの、望美?」
このとき望美は、自分もついていく気だったのだ。
だがそれは、あっさりと却下される。
曰く、全体的に人の住める家ではないという理由で。
「えええ!?」
「・・・・・神子、すまない」
人の住まない家は荒れやすい。
ましてや、リズヴァーンの庵は山の奥。
こうした事態を想定していたわけでもない庵は、最低限の手入れしかされてはいなかった。
しかも、リズヴァーン自身、ずっと京邸や戦場にいたのであるから、状態は推して知るべし、である。
リズヴァーンに謝られてしまうと、望美も文句は続けられない。
敦盛が優しく撫でてくれる頬に添えられた手に、頷くしかなくなる。
「少し、待っていてくれ・・・その、・・・・・私も、あなたと共にいたいから」
「敦盛さん・・・・はい」
せめて、と手伝いを申し出た望美に、敦盛は鷹揚に頷いた。
敦盛が庵に移った次の日から、そこに通うのが望美の日課になったのだ。
「わあ、中も綺麗になりましたね!」
「ああ・・・・九郎殿が、これをあなたにと」
「え?・・・・・わあ、可愛い」
それは小さな木彫りのリスだった。
手乗りサイズのそれを見て、望美は小さく笑う。
敦盛もまたそっと笑う。
望美の笑顔はそれだけで、敦盛の心を宥めてくれるのだ。
どんな日にも。
「それで、今日はどこを手伝えばいいですか?」
「・・・・ああ、今日は・・・・・」
毎日、望美に出来そうな小さな仕事を探し、残しながら、敦盛はいつか望美が来なくなる日を考えていた。
今はこうして来てくれていても、いつか、心が遠くなったり、面倒になったり。
ソノ前に自分ガ消エタリ―――・・・・・
「・・・・・さんっ、敦盛さんってば!」
「あ、ああ、・・・何だろうか」
「もう、急にぼうっとして。・・・・・大丈夫ですか?こんな急ピッチ、やっぱり疲れちゃいますよ」
気づけば望美が覗き込んでいた。
気づいた敦盛にちょっと怒って、望美は腰を手に胸をそらした。
・・・・・それは、早く一緒に住みたいけれど。
「急・・・ぴっち?」
「急ぎすぎじゃないかってことです。景時さん、驚いてましたよ」
望美はこんなものかと思っていたのだが、景時によると随分早いのだという。
休む間も惜しんでるんじゃないかな、と、心配そうにした景時の様子を見て、望美もいつか言おうと思っていたのだ。
「ああ・・・・大丈夫だ。私はあまり疲れを感じな・・・・・」
言いかけた敦盛の唇を、望美の人差し指が抑えた。
「駄目。ちゃんと労わってください、身体」
「・・・・・だが」
「私のことなら、ちゃんと待てるから大丈夫です」
望美が自慢げに笑って、敦盛も釣られてしまう。
綺麗で優しい横顔。
愛しいと思う。
胸に仄かに灯る想い。
それと同時に忍び寄る、不安の影。
誰も想わないのなら、こんなことはきっとなかったのに。
移り変わるものを敦盛はよく知っている。
それは自然の摂理。
変わることは決して悪ではない。
そう・・・・・知っているのに。
今、こんなにも、あなたの心変わりが怖い。
それを怖がる、自分が嫌だ。
(何も縛る権利を私は持っていない。持っていいわけがないものを・・・・)
ぎゅっと思わず握り締められた拳。
気づいて、望美はそれにそっと触れた。
「・・・・・・神子」
呼ばれ、望美はにっこりと笑う。
言って聞いてくれる人ではない。
その頑固さは、敦盛の長所でもあるから、望美は非難したくない。
でも言葉にすれば、また敦盛は謝ってしまう。
(謝罪が、欲しいんじゃ、ないのに)
だから、望美は何度も微笑むのだ。
敦盛がちゃんと「わかって」くれるまで。
何度でも。
(私は一緒に、いたいです)
好きだと口にはなかなか出来ないけれど、あなたを、想う。
「・・・・さあ、始めましょう。ゆっくり、ね?」
「・・・・ああ、神子」
その微笑に癒される。
少なくとも今日は、神子は、まだ傍にいてくれる。
笑って、くれる。
敦盛もまた笑う。
敦盛のその微笑に望美がどれだけ救われているか、敦盛は知らない。
望美もまた、それを語らない。
それは本当は、大したことではないのだから。
大切なことは言わなくてもいつか伝わるだろう。
たとえば繋いだ手の先。
いくつもの笑顔がそれを伝えてくれる。
言葉に出来ない、溢れるほどの想いだから。
今日もあなたが傍にいる。
それが一番、大切なこと。
