荼吉尼天を倒した八葉と神子たちは、京に戻った。
このまま現代にいることはできたが、やっぱり和議の途中だった京を放り出すのは望美にも心残りだったのだ。

「後悔しない……?」

不安げに朔が問いかけてくる。
望美は、にっこりと微笑んだ。

「皆と一緒に還るのに、後悔なんかないよ」

―――既にあの時空は望美にとっても還るべき場所だった。
だから本当に後悔はない。
少なくとも望美は、その時は本当にそう思っていたのだ。





夏の休日





「暑ーい!!もうやだ!クーラーが恋しいよーっ!!」

望美は京邸の渡殿で大の字になり、そう言ってジタバタした。
すぐに朔からお叱りの声が飛ぶ。

「まあ望美!こんなところでなんて格好をしているの!はしたないわ!」
「だって朔〜」

後悔なんかない。
そう思ったのも本音だが、ちょっとくらいは許してほしい。
だって、本当に暑いんだもん……!

「せめて海に行きたい。去年みたいに熊野でもいいよ。駄目かな?」
「そんなこと言っても……」

望美の小さな我儘に、朔は困ったように頬に手を当てて考え込んだ。
暑いのはわかる。
向こうの時空に行ったときに、暑さも寒さも機械で何とかできるというのを目の当たりにしているから、望美の気持ちもわかる。
でも、それはないものねだりだ。朔にはどうしようもない。

「あなたが言ってるのは泳ぎたいってことよね?」
「そりゃあそうだよ!海に行ったら泳がなきゃ!」

望美の主張に朔は尚更困った顔をした。
望美が泳ぐことが好きなのは、向こうでプールに付き合ったから知っているが……

「でもあなた、水着はどうするの?」
「あっ…」

朔の現実的な指摘に、望美は絶句した。
確かにそうだ。
前と違って、行くなら完全に遊びだから泳げるだろうと思った自分は思いっきり甘かった。
まさか裸で泳ぐわけにもいかないし……!

「う、うう、そんな盲点が」
「しょうがないでしょう。諦めなさい」
「はうう……」

それでなくても、和議後はそれぞれの役割に就いて動き出していて、とても去年の夏のように休む暇はない。
朔が断じて、望美が諦めかけた。
そのときだった。

「心配ご無用だよ〜、望美ちゃん!」
「兄上?」

突如として割って入った陽気な声は景時だった。
途端に朔の顔が愁眉から険しくなる。

「こんな時間に帰ってらして、お仕事はどうなさったのですか?」
「ま、まあまあ……。望美ちゃん、海で泳ぎたいんだよね?」
「は、はい」

望美は曖昧に頷いた。
実際、泳ぎたいかと言われれば、それはどちらでもいい。
ただ、この世界で涼をとれ、かつ、楽しそうなのがそれだっただけである。
だが、現実的に考えればこの時代には水着も何もないわけで、それは不可能。

望美は頷きはしたものの、半分以上、諦めていた。
そんな望美に、景時は不敵な微笑みを浮かべる。

「ふふふ、いつかそんな日が来ると思っていたんだよね」
「……景時さん?」
「ちょっと待ってて!」

そう言って一旦出て行った景時が持ち出してきたのは「水着」だった。
それも全員分の。

「か、景時さん、これっ……!」
「びっくりした?みんなでプールに行ったでしょ、その時のやつ!」
「持ってきてたんですか?!」
「うん、こんなこともあろうかと思ってね」
「ふわー……」

景時は得意顔だ。
望美もびっくりした。朔はもっと驚いていて、半分呆れたような顔をしている。

望美はこっそり首を傾げた。
皆の分、はいいとして……。

(どうして自分の家に持って帰った、私の水着まで???)

聞いてみてもいいが、血の雨が降るような予感がする。
主に景時の。

望美は全部気にしないことにした。

「―――これで泳げますね!ありがとう景時さん!」
「いやあ、お役にたてて何よりだよ」

景時は相好を崩した。
だが、朔が困ったように嘆息する。

「でも、どこで泳ぐのですか?こんな恰好……人に見られるのは、私、嫌よ」

朔の水着は露出の控えめなワンピースである。
とはいえ、やっぱりいつもよりは肌も出る。
望美は目をパチパチした。
人に見られないビーチ。
と、なると……

「うーん、ここはやっぱり……」
「――――オレの出番だね」

これは何だかもう驚かなかった。
ヒノエの神出鬼没は今に始まったことじゃない。

「ヒノエくん!」
「やあ、姫君。お久しぶり。海のことならオレに任せてくれよ」
「わあ、じゃあ手配は任せたね!!」

望美は満面の笑顔で喜び、これに気をよくしたヒノエは、大掛かりに走り回った。





こうなると、噂はあちこちに駆け廻り―――――





「………弁慶、何をしている」
「何って、薬の作り置きですよ。しばらく京を留守にしますからね」
「何?何でだ!」
「君も知ってるのではないですか?」
「………うっ」





「ほう………海に、な」
「おう、つーわけで、暫く頼む。まあそんなにかからねえから」
「クッ……お前ひとりで……愉しむのは無粋、だろう……」
「勿論私もお供いたしますよ、還内府殿」





「神子殿が『ひしょ』とやらに行かれるそうだ。どこか知らぬか」
「さ、さあ皆目見当も……そのような地名に覚えが……ああっ」
「何だ!」
「九郎殿をつければよいのではありませぬか!?」
「おお!それは名案ぞ!!」





「楽しみですね、敦盛」
「はい、兄上」
「神子殿によろしくお伝えくださいね」
「……あ、兄上も行かれませんか……?」





結果―――――――





「……………望美、これは、もうちょっとこっそり行った方がよかったのではないのかしら」
「そ、そうかも。こ、今年は無理そうだね……」
「ええ……残念だけど………」

……海で泳ぐのは、諦めざるを得なかった。
だが、こうして源平両軍から貴族・法皇の一行にいたるまで熊野に詰めかけたため、熊野では大々的な祭りが執り行われることとなったのだ。

「後悔しない?」
「してないったら!!」

重い装束を望美に着つけながら、朔は悪戯っぽく微笑んだ。
ありとあらゆる意味が込められた言葉に、望美は意地で横を向く。


景時の花火や神子と知盛卿の舞などが披露され、人は多くつめかける。
望美の憂い顔と裏腹に、ヒノエが満足げに微笑んだとかそうでないとか。


ともあれ、平和に夏は過ぎ、秋へと続いていくのだった。