朱色の檻





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「――――やっぱりそれがお前の羽衣だったね」
 ヒノエの声が、響いた。
「ヒノエくん…?まさか…」
「そう。相変わらずオレの姫君は賢いね。…逆鱗はオレが持っているよ。それは、偽物さ」
 よく似ているだろう?
 ヒノエがいっそ軽やかに笑うのを、望美は呆然と見つめる。
「逆鱗を盗っていたの…?」
「お前を何処にも行かせないためにね」
 望美の震える声音の非難を、ヒノエはさらりと受け流した。どんなに非難されようが、その行為は正しかったときっぱり言える。
 そうしてなかったら、望美は今もうここにいない。
 ヒノエは、弁慶に帰れと言われた望美が咄嗟に逆鱗に願おうとしたのを見ていた。
 見ていたから、帰還したヒノエが一番にしたのは偽物の手配とそのすり替えだったのだ。
 部屋に通い、ただ傍で微笑んで。
 望美が弁慶を好きなのは承知していたから、それこそ何年でもかけて手に入れる気だった。
 逆鱗をうまく隠せた余裕からかもしれない。
 ヒノエはゆっくりと望美の気持ちを傾けようとしていた。望美も、少しずつヒノエに開く部分が大きくなっていくようだった。
 心を尽くした日々。
 それでも、望美の心は弁慶のものか―――
「…それで行って、どうするの姫君?二人で仲良く死ぬ?もし助かったとして、何処へ行くの」
 矢継ぎ早にヒノエは問う。
 望美はくっと息を詰めた。
 確かに、その通りだった。
 望美はただの人間である。仲間も散り、この先を知らない望美が行ったとして、共に死ぬ以外、弁慶に何がしてあげられるだろう?
 望美が押し黙ったのを見て、ヒノエは軽く笑って近づくと、そのまま座り、望美と視線の高さを合わせた。
「方法はあるよ。弁慶を助ける、方法」
「…それは…?」
 望美が慎重に尋ねた。ヒノエは艶冶に笑う。
「お前がオレのものになるなら、弁慶を助けてあげる」







「今夜の月と花は美しいから、どうせなら心ある人と見たいものだ―――逢瀬を誘う歌ね。ヒノエ殿かしら」
「・・・・・やっぱり朔もそう思う?」
 歌と聞いて、望美が一番に思い浮かべたのはヒノエである。よく歌を詠みかけてくるが、彼が望美に返歌を求めたことはない。
 妙に強引かと思えば、負担になるようなことは強要しない柔軟さも持っていて、望美の気持ちを和らげてくれる大事な人でもある。
「・・・行ってこようかな。大事な話かもしれないし・・・」
「そうね、ヒノエ殿なら、きっと急に無体はなさらないだろうし・・・」
「や、やだ、朔、誰でも大丈夫だよ〜」
 朔の揶揄に望美が赤くなる。望美がこの時空へ留まってくれるといい、と心から願う朔からすれば、二人が恋仲になってくれるのは嬉しい話だ。
 もっとも、本当は不肖の兄に頑張らせたいところだが・・・それはちょっと難しい。
 そうと決まれば、と、望美は夜着の上に一枚だけ引っ掛けた。
 場所が「今日のところで」と、あるためだ。
 朔に見送られ、望美はヒノエと会った渡殿の奥に進む。
 ・・・・まだ来てないのかな?
「あ、ヒノエくんっ、・・・・・・?」
 忍び寄った足音に望美が振り返った途端、望美の視界は暗転する。
 急に襲ってきた眠気。最後に見えた蜂蜜色―――
「べ・・・けい、さん・・・・・」
 倒れこんだ望美を、まるで平静に弁慶は抱きとめた。