もう一度桜の下で





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目覚めても、体の熱と痛み、不意に襲う寒気はなくならなかった。これは、風邪の症状ではない。
いや、そのため抵抗力が落ちて、効きやすくなっていたのか。
「・・・・・・・お粥ですか、ありがとう。いただきます。だから君は早く・・・・―――っ」
「弁慶さんっ!胸が痛いの?無理しないで・・・・っ」
突如胸を押さえて苦しんだ弁慶に、望美は慌てた。
必死に触れた手が弁慶を刺激する。
弁慶は柔らかい感触を拒み、その手を払いのけた。
「やめてください!僕に、かまわないでっ・・・」
そうするうちにも息は荒くなっていく。望美は心配で立ち去れず、それでも触れずに座り込んだまま動けない。
弁慶は思考を巡らし、思いつく。
ヒノエから取り上げた薬箱。熱でしんどくて、適当に直したそこから、九郎が取り出しただろう薬。
間違えていたに違いない。
この薬は、少しなら血行をよくする程度だが、過ぎれば媚薬も敵わぬ効果をもよおさせる。
それを風邪薬と思って飲んだのだから、充分に過ぎた量だっただろう。
「・・・・・ここに、いさせてください、お願い・・・・っ」
望美は懸命に願った。
厳島で、自分に悟らせぬよう痛みに耐えて、笑って消えた弁慶がよぎった。一人になんか出来ない。
「・・・・・駄目です、部屋に帰りなさい、望美さん」
努めて声が乱れぬよう、弁慶は気をつけた。
熱い。稽古でもしていたのか、望美から僅かに汗の匂いがして、それが弁慶の理性を揺らした。
喉が渇いた人間が当然水を欲しがるように、望美という女体が欲しくてたまらなくなる。
だがそれは、躊躇われた。
戦のために利用するのは構わない。
そのために、彼女の正義新も好意も利用しつくしてもいいとさえ思う。
けれど、己のためにはもう二度と、誰も利用したくない。
必死にこらえる疼きが、次第に酷くなっていく。
「・・・・・帰って。お願い、ですから・・・・」
本当は違うものが欲しいのに、弁慶は懸命に希う。
望美が動かないのが、ひどく焦れた。
「夜更けに男の部屋に来て・・・、何かされても文句は言えませんよっ・・・・・」
最後通牒のように絞り出した声は、自分でも恥ずかしくなるほど余裕がない。






熊野路は快適とは言いがたい旅である。
古くからの聖地へといくつもの街道の延びた中で、九郎の一行はまず中辺路を目指したが、そこは足止めされてしまう。
仕方無しに、大辺路を行くことにした。
海岸線に沿って勝浦伝いに向かうため、かかる日程は一気に増える。
だが、海を特に自慢とするヒノエ。文句はなかった。
折に触れて望美を誘い、その笑顔に触れる度、ヒノエの中に育っていくものがあった。
(まずいな・・・・)
それは自覚し始めた本気の恋と、―――嫉妬。
(深みに、嵌りそうだ)
魚が跳ねたきらめきに笑う笑顔は、水飛沫よりも眩しかった。
鮮烈な剣舞と、本人も無自覚だろう怨霊を斬った時の哀しい顔は対比的で至極そそられた。
そうかと思えば、宝石よりもお菓子を喜ぶ姿はあどけなく。
くるくる変わる表情に夢中になっていきそう。
そして何よりもヒノエを惹いたのは、・・・・弁慶を見る瞳。
透き通るような、それは、恋も悲しみも秘めて弁慶を追う。
素っ気無い、笑顔の鉄面皮のあの男に。
好意をああまで足蹴にする男だっただろうか?もっと据え膳食わねば何某の男だったと思っていたけど。
何にせよ、腹が立った。
姫君につれないのも気に食わないが、仲良しをやられてもたまらないから、とどのつまりは、望美が弁慶を見ているのが悔しいのだ。
あんなに綺麗で、特別な瞳で。
思い至ってしまえば、恋は走り出す。
それはまるで電光石火の早業で。