優しい空、君の傍2




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 そのとき、横に置いたままの携帯から着信のメロディが流れ出した。見知らぬ番号。
「……はい?」
『望美さん?』
 いささか警戒しながら電話に出ると、耳に流れてきたのは蜂蜜のような甘い声―――弁慶だった。
「べ、弁慶さん?えっ?」
 思わずディスプレイを見直す。
 やっぱり知らない番号。ということは、将臣や譲の携帯ではない。
「どうしてっ?」
 びっくりして混乱する望美の様子が手に取るように分かるのだろう。電話の向こうから、押し殺した忍び笑いが続く。
『そんなに驚いてもらえたら、買った甲斐があるというものです』
「買ったっ?」
『ええ、……どうも長くなりそうですからね』
 スッと弁慶の声のトーンが落ち、望美も顔を曇らせた。それは望美の考えていたことと、同じ。
「……あのとき、私が皆で行こうって言わなかったら……」
 思わず弱音が口を衝いて出た。
 すぐに望美は羞恥した。こんなの、慰められたいだけの言葉だ。
 弁慶の優しさに縋りたいだけの弱い言葉。
 しかし、弁慶は望美をただ甘やかしたりはしなかった。
『そうかもしれません。でも、その前に行くと言いだしたのは僕たち自身ですよ』
「弁慶さん……」
『君は進む力の神子でしょう?』
 ただ真実を、そして指針を。
 望美は浮かびかけた涙を飲み込むように上を向いた。――そうだ、まだ皆が還れないと決まったわけではない。
「はい」
 覇気を取り戻した望美の声音に、弁慶はそっと微笑んだ。
 落ち込ませたいわけではないのだ。
『そこで君にお願いがあって』
「お願いですか?」
 弁慶は、街を回っても龍脈が乱れている原因を掴めないこと、神子が行けば何か変わるかもしれないことを伝えた。
 弁慶が思った通り、望美は二つ返事で快諾した。
「もちろんです。明日はもう終業式だし……」
『早く終わるんですよね?』
「はい!」
 休みは無条件に嬉しいものなので、望美の声は自然と華やいだ。
 弁慶は無邪気な望美に小さく笑う。向こうでは見られなかった顔の一つだ。
 これを見れただけでも、弁慶にとって、時空を渡った甲斐はあった。





 望美がなるほど、と頷いた。
 しかしそこで変な顔をする。
「……どうしました?」
「弁慶さん…この辺りって、大きいお寺とか神社とか、ないですよ?」
「ええ……」
 弁慶は何を言いたいか分からず首を傾げる。
 望美は地を這うような声音で、弁慶を下から睨みつけた。
「もうっ!そこまで考えていたなら、行く場所は他にあるじゃないですか……!」
「ああ……、今日は、そんなつもりじゃなかったですから」
 しれっと弁慶は答えた。
 調査は口実。
 どうせ明日からは、一日中望美と一緒にいられるといっても、二人きりの時間なんてとることも難しいだろう。
 その前に抜け駆けしたかっただけである。
「今日は、君とこうしてデートしたかったんです」
 待ち合わせて二人で遊んで、お茶して。
 怒っていた望美は、別の朱にさっと頬を染めた。
 確かに、デートかもしれない。
 でも。
「デートは恋人同士がするものですっ!これは違うの!」
 顔を赤くしつつ、そっぽ向いて望美が反論した。
 弁慶がふと笑う。その微笑みの色が寂しそうなのを、目を背けたままの望美は気づかない。
 声色はちっとも揺らさず、弁慶が首を傾げた。
「違うんですか?残念だな」
 そのままそっと、テーブルの上の望美の手に触れる。
「僕はデートだと思っていたのに」
「べ―――弁慶さんっ…!」
 手に触れられたことに気づいた望美が、それを引き抜こうとする。
 だが、弁慶はそれを許さない。
 熱い榛色の瞳が、望美を射すくめた。
「言っておきますが、本気ですよ?」
「べ……」
 望美は思いもしなかった展開に少し戸惑う。
 とにかく何か言わなきゃと口を開きかけた望美を遮ったのは、携帯の着信音。
 弁慶がふと力を緩め、手を戻した。
 望美が慌てて確認する。触れられた手が熱い。




「んんっ、んっ……」
 望美は息継ぎさえも許さないような、かみつくような口づけを懸命に受け止めた。
 息苦しさと官能に、目眩がする。
 涙が一筋流れた。
 いつもの弁慶ならそこでやめただろう。
 いや、望美が身を捩った時点で、離れたかもしれない。
 しかし、今日の弁慶はやめなかった。
 尚更に深く、きつく口づけられて、望美はくぐもった喘ぎを洩らすしかない。
「んっ、はあっ、んうっ……」
 角度を変えて差し入れられる舌は、ずっと離れない。絡み合ったまま、何度も唇を啄ばまれて、望美の唇はもう真っ赤だ。
(……どうしよう)
 望美は弁慶の腕につかまりながら、必死に弁慶の舌に追いつこうとする。
 だが、弁慶の舌は望美を翻弄するかのように自在に動き、歯列の裏から、奥の方まで愛そうとする。
 ―――望美は困ってきた。
 まだ、キスされただけ。
 衣越しにさえ、触られてないのに。
「……どうしましたか?」
 聞きながら、弁慶が望美の舌の裏をなぞった。
「んっ……」
「何か、言いたげだ」
 望美は真っ赤になって、黙り込む。
 何て意地悪な顔だろう。
 全部全部、お見通しのくせに。